労災申請中でも傷病手当金は請求できる——時効2年に注意
結論からお伝えします。労災保険の申請中であっても、健康保険の傷病手当金を請求することはできます。「労災の結果が出てから健康保険を考えればよい」と待っていると、傷病手当金の請求権は2年で時効にかかり、労災が不支給になったときに何も受け取れなくなるおそれがあります。特に、うつ病などの精神疾患、脳・心臓疾患、腰痛のように労災認定に時間がかかり、認定されるかどうかも分からない疾病では、労災の請求と傷病手当金の請求を同時に行うことが、生活を守るうえで重要です。
・業務上のケガ・病気は本来健康保険の対象外だが、労災認定が出るまでは傷病手当金を「請求すること」自体は妨げられない
・傷病手当金の請求権は働けなかった日ごとに2年で時効消滅するため、労災の結果待ちで失権した事例がある
・労災が認定されたら休業補償給付を受け、受け取っていた傷病手当金は返還して精算する(二重には受け取れない)
原則:業務上のケガ・病気に健康保険は使えない
健康保険は、労災保険の業務災害「以外」の病気やケガを対象とする制度です(健康保険法1条)。そして、同じ病気やケガについて労災保険から相当する給付を受けることができる場合には、傷病手当金は支給されません(同法55条1項)。ですから、仕事中の事故でケガをしたことが明らかな事案では、健康保険ではなく労災保険で治療と休業補償を受けるのが正しい手続きです(健康保険で治療を受けてはいけない理由)。
しかし、労災と認定されるかどうか分からない疾病がある
問題は、業務が原因かどうかの判断に時間がかかり、しかも認定されるとは限らない疾病です。うつ病などの精神疾患、脳・心臓疾患、腰痛・椎間板ヘルニアがその典型で、労基署の調査には半年以上かかることも珍しくなく、認定率も高くありません。厚生労働省の集計(令和6年度)では、精神障害の労災請求3,780件に対し、支給決定は1,055件でした。
この間、本人は働けず、収入が止まります。労災が認定されれば休業補償給付(給付基礎日額の8割)がさかのぼって支払われますが、不支給になれば労災からは1円も出ません。そのとき「では健康保険の傷病手当金を」と請求しようとしても、次に説明する時効の壁にぶつかります。
労災の結果を待つと、傷病手当金が時効で消える
健康保険の給付を受ける権利は、行使できる時から2年で時効により消滅します(健康保険法193条)。傷病手当金は「働けなかった日」ごとに請求権が発生するため、時効も日ごとに進みます。労災の請求→不支給決定→審査請求・再審査請求→取消訴訟と争っている間に、休業開始から2年以上が経過した日の分は、健康保険にも請求できなくなってしまうのです。実際に、腰部椎間板ヘルニアで労災の療養補償が不支給となり、審査請求・再審査請求・取消訴訟まで争った後に傷病手当金を請求したものの、時効で不支給となった事例が文献で紹介されています。
裁判所も「労災を請求しながら健康保険を請求してよい」と判断
健康保険の傷病手当金の不支給処分が争われた事案で、裁判所は、労災保険の給付を受けながら健康保険の給付を受けることはできないとしつつ、「労災保険給付を請求しつつ、健康保険法による給付の請求をすることは、法令上、何ら妨げられない」と判示しました(当時の健康保険法59条の6。現在の55条に相当します)。労災の結論が出るまで健康保険の請求を控えなければならない、という決まりはないということです。
※この裁判例の紹介は、角森洋子『改訂3版 わかりやすい労働衛生管理』(経営書院)356〜357頁の記述に基づいています。
実務の進め方——同時に申請し、労災認定後に精算する
- 受診し、医師に業務との関係を伝える——労災の請求書と傷病手当金の申請書は、いずれも医師の証明(労務不能の意見)が必要です。
- 労働基準監督署に労災の休業補償給付を請求する(様式第8号。請求書の書き方の解説)——会社が証明を渋っても申請できます。
- 並行して、健康保険の傷病手当金を申請する——協会けんぽや健康保険組合の「傷病手当金支給申請書」を提出します。労災を請求中であることは隠さず伝えてください。厚生労働省は、労災が疑われる事案では保険者が「まずは労災保険の請求を促し、健康保険の給付を留保することができる」としており(平成25年8月14日保険局保険課事務連絡)、協会けんぽでは、労災認定された場合に傷病手当金を返納する旨の「同意書兼返納誓約書」の提出を求められるのが通例です。支給が留保されることはあっても、期限内に申請をしておけば時効の問題は生じません。
- 労災が認定されたら——休業補償給付(8割)を受け取り、同じ期間について受け取っていた傷病手当金は健康保険に返還します。二重に受け取ることはできません。なお、健康保険で受けていた治療費(保険者負担分)については、本人が申し出れば労働基準監督署が労災の療養の費用を保険者の口座に直接振り込んで調整する仕組みがあり(平成29年2月1日基補発0201第1号)、いったん自分で立て替えて返す負担を避けられます。
- 労災が不支給になったら——傷病手当金を受け続けながら、審査請求などで労災を争うことができます。
| 労災保険の休業補償給付 | 健康保険の傷病手当金 | |
|---|---|---|
| 対象 | 業務上・通勤による傷病 | 業務外の傷病(労災給付を受けられる場合は不支給) |
| 金額 | 給付基礎日額の8割(給付6割+特別支給金2割) | 直近12か月の標準報酬月額の平均÷30の3分の2 |
| 支給開始 | 休業4日目から(最初の3日は会社が補償) | 連続3日の待期後、4日目から |
| 期間 | 治ゆ(症状固定)まで。期間の上限なし | 支給開始日から通算1年6か月 |
| 時効 | 2年(休業日ごと) | 2年(労務不能の日ごと) |
※傷病手当金は、給与が支払われている期間や障害厚生年金を受けられる場合には支給されないか差額のみの支給になります(健康保険法108条)。
傷病手当金があっても、労災認定を目指す意味
傷病手当金で当面の生活を支えられるとしても、労災の請求をあきらめる理由にはなりません。傷病手当金は支給開始から通算1年6か月で終わりますが、労災の休業補償給付には期間の上限がなく、金額も8割と手厚いからです。さらに、労災と認定された病気で休業している期間とその後30日間は、会社は原則として解雇できません(労働基準法19条1項)。治りにくいうつ病などで休業が長期化するほど、労災認定の有無が生活と雇用の両面に大きく影響します。
会社への損害賠償請求との関係
労災と認定された場合、休業補償給付でカバーされない残りの2割の休業損害や慰謝料は、会社に安全配慮義務違反があれば損害賠償として請求できます。労災の認定を待つ間の生活を傷病手当金で支えつつ、認定後に休業補償給付へ切り替え、さらに会社への請求を検討する——この順序を最初から設計しておくことが、結果を大きく変えます。
まとめ
労災保険の申請中でも、健康保険の傷病手当金は請求できます。労災の結果を待ってから請求すると2年の時効で失権するおそれがあるため、精神疾患・脳心臓疾患・腰痛など認定に時間がかかる疾病では、労災の請求と同時に傷病手当金も申請しておくことが重要です。労災が認定されれば休業補償給付を受け、傷病手当金は返還して精算します。傷病手当金には1年6か月の上限があり、労災認定には解雇制限の効果もあるため、傷病手当金を受けながらも労災の請求は続ける価値があります。
どちらをどの順で申請すべきか迷ったら、初回無料のご相談で状況をお聞かせください。
よくある質問
Q.労災が認定されたら、受け取った傷病手当金はどうなりますか?
A.同じ期間について労災の休業補償給付が支給されるため、受け取っていた傷病手当金は健康保険に返還して精算します。労災の休業補償給付(8割)の方が傷病手当金(3分の2)より手厚いので、差額分は手元に残ります。
Q.傷病手当金を受け取ると、労災認定に不利になりませんか?
A.労災認定は、業務と傷病との因果関係(業務起因性)で判断されます。傷病手当金を請求したこと自体が労災の判断を左右するものではありません。裁判所も、労災保険を請求しながら健康保険の給付を請求することは法令上妨げられないと判断しています。
労災の請求、傷病手当金の申請、会社への請求の順序と組み合わせを、状況に合わせて整理してご提案します。初回相談は無料です。
※お電話・メール・LINEはご相談の予約受付です。利益相反や業務の状況により、ご相談をお受けできない場合があります。